6月 某日 プロヴァンス

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セザンヌはヘタウマの元祖である!
泰西名画の巨匠をこき下ろしているようだが、そんなことはない。
好きになったのだ。セザンヌの絵が…(笑)

個展も無事に終えて東京滞在最終日は、六本木の新美術館の「セザンヌ展」も最終日であった。
セザンヌの絵を系統立てて観たことが無かったから、この機をのがす訳にはいかないと
勇んで出掛けていった感想がこれだ。

初期は同時代のゴッホような情念も無ければやモネの様な技巧も感じられない凡庸な画家のように見える。
もやもやする感情を持ちながら好きな絵を描いていたら、何かをきっかけにして世界の見え方が
次第に変わっていく。

何か…私はそれを密かに老眼ではないか?と推理する。
老眼で視界がぼやけて平面的に色彩を捉えるようになったというのが私の説だ。
根拠は今の私がそうだからだ(笑)

小説家が自分の文体を見つけたように、セザンヌのそれまでの鬱屈して退屈な絵が俄然面白くなる。
風景画も段々と抽象的になっていく。
それは同時に日本の南画を思わせる筆使いを思わせる。
松の木の表現はまるで富岡鉄斎だ。
もしかしたら鉄斎の方がセザンヌの影響を受けているのかもしれないが…未検証。

やはり圧巻は静物画だ。
ただのリンゴや壺の絵だけれど、見ていると目眩を起こしそうな不思議な感覚に囚われる。
今の我々は過剰な映像表現や刺激に麻痺してしまっているのが
初めて目の当たりにした人々はさぞかし当惑驚愕したはずだ。

時代は下るがストラビンスキー「春の祭典」の初演の際には会場が怒号に包まれて大混乱になったという。
今では条件反射のように名画名曲として有り難がって鑑賞するものになっているが、
いずれも革新的な作品としてセンセーショナルな問いかけを人々に投げかけていたはずだ。
当時の観衆と同じ感受性で観たらどんなだろうと想像してみるのもいいだろう。
確かに百年以上の時代を経ても充分に訴えてくる魔力を未だに持った強力な絵画群だ。
by kaikaisei | 2012-06-19 21:54 | 日記
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